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親鸞聖人報恩講をお勤めしました

2011.10.17
親鸞聖人報恩講

親鸞聖人報恩講

10月15日、吉見布教所淨泉寺で親鸞聖人報恩講をお勤めいたしました。お参りいただいた皆様、ありがとうございました。

ささやかではありましたが、吉見布教所ができて初めての報恩講をお勤めすることができ、住職、坊守共に大変嬉しく思っています。

法要に引き続いて法話をおとりつぎさせていただき、親鸞聖人という大きな人物を育てた鎌倉時代と現代とでは比較も難しいのですけれども、社会が混迷する度合は深まっているという印象が強いと感じている私は、お念仏がますます広まっていってもらわなければと本当に強く思っているところです。

さて、法要後は東松山市にある坊守お気に入りの和菓子屋さん「富久屋さん」さんの三色団子をいただきました。夫婦ふたりで甘いものに目がないわたしたち、どれを食べても美味しく、オススメです!

ところで本山・西本願寺でおこなわれる御正忌報恩講で、大師影供作法という声明がつとまることがあります。ダイシエイグ・サホウと読みます。
この大師影供作法のなかに画讃(ガサン)とよばれる部分があります。画讃は絵像に描かれている方のご事績を称賛する文言で、親鸞聖人の画讃は本願寺第14代寂如宗主がおつくりになったものです。元禄七年(1694年)、現在の大谷本廟の廟堂を新築された際、おかけになった親鸞聖人のご絵像に御みずからこの画讃をお書きになりました。
韜名愚禿畏人知
高徳弥彰澆季時
誰了如来興世意
直標淨典囑今師
名を愚禿に韜(かく)して人の知るをおそる
高徳、弥彰(いよいよ)彰(あら)わる澆季の時
だれか了(しら)ん如来興世の意
直ちに淨典を標して今師に属す
意味は「親鸞聖人はお名前を自ら愚禿と名のり、名利を求めることなく、名もなき民衆と生きていかれた方です。しかしそのご功績や高徳は時代と共に知れわたり、讃迎されるようになりました。どなたかご存知ですか。釈迦仏がこの私たちの世にお生まれになった真意を。それは歴史の流れの中で、直接、大無量寿経という教典を聖人に手渡す為だったのですよ」となるかと思います。
これを声明の節譜にのせて称えます。音は、
とうべいぐとくいじんち
こうとくみしょうぎょうきじ
すいりょうにょらいこうせいい
ちょくひょうじょうてんぞくこんし
となり、そのソロパートの部分である一行目のみを録音してみました。聞いてみてください。

Shin-Buddhism Shoumyou(Gasan) by fukuimanabu
これに続くコーラス部分が素晴らしい!数十人の僧侶による大合唱です。それは是非ともご本山の御影堂で、お聞きください。


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